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和歌山地方裁判所 昭和54年(ワ)332号 判決 1982年8月31日

原告

水落愛子

被告

中谷敏行

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告に対し、金五四一万八〇九七円及び内金四九一万八〇九七円に対する昭和五三年九月七日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告に対し、一八九五万八二九二円及び内金一七四五万八二九二円に対する昭和五三年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

原告は、昭和五三年九月七日午前七時三〇分頃、大阪府泉南市信達市場四三八番地の一六、原告住所地前路上において、南向きに駐車中の、原告の夫水落進所有の普通乗用自動車(泉五六な九五七、以下被害車という)の助手席に乗つて、右水落進が乗車するのを待つていたところ、被告中谷博美は、右道路約三〇メートル北側から被告中谷敏行所有の普通乗用自動車(和五五て二五四八、以下加害車という)を運転して南方向に後進させ、加害車の後部を被害車の後部に衝突させ、よつて、原告に後記傷害を負わせた。

2  原告の傷害

本件事故により、原告は頸髄または頸椎、中枢神経、脳に損傷をうけ、頭痛、頸部痛、腰、背部痛、嘔吐、運動失調等の症状を覚え、後記のとおり入、通院治療をうけたが、右症状が固定した昭和五四年一〇月一六日以後も、前記症状のほか、左上下肢の運動機能障害、左大後頭神経、上腕神経叢、左傍胸椎、腰椎、左坐骨神経に各圧痛等の後遺症(自賠法施行令二条による後遺障害等級表七級四号に該当)が残つた。

原告の入、通院状況は次のとおりである。

(一) 野上外科病院

通院 昭和五三年九月七日より同月九日まで(実通院三日)

(二) 医療法人生長会府中病院

入院 昭和五三年九月一〇日より同年一二月二四日まで(一〇六日間)

(三) 長束クリニツク

入院 昭和五三年一二月二五日より昭和五六年一月七日まで(七四四日)

3  被告らの責任

(一) 被告中谷敏行の責任

右被告は加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故により原告が蒙つた後記損害を賠償する義務がある。

(二) 被告中谷博美の責任

右被告は加害車を運転し、後方に発進、進行するに際し、後方の交通の安全を確認して進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、慢然と後進した過失により本件事故を惹起したものであるから、民法七〇九条により、本件事故により原告が蒙つた後記損害を賠償する義務がある。

4  損害

(一) 入院雑費 二八万一四〇〇円

入院期間(症状固定日である昭和五四年一〇月一六日まで)四〇二日間、一日七〇〇円の割合により算定すると、右の金額になる。

(二) 症状固定日までの逸失利益 一八五万〇七九四円

原告は昭和八年六月二六日生れ(事故当時満四五歳)の女性で、本件事故前は健康で、一家の主婦として元気に働いていたところ、本件事故のため、事故当日より症状固定日までの間の四〇五日間ほとんど入院し、家事労働も全くできなかつた。右休業期間四〇五日間の休業損害を、本件事故当時における満四五歳の女性の賃金センサスによる平均賃金一カ月一三万九〇〇〇円に基づいて計算すると、右の金額になる。

(三) 後遺障害による逸失利益 七五七万六〇九八円

本件事故により、原告は左腕の動作が困難となり、左手では茶腕も持てず、また左足で靴を履こうとしても足が思うように運べず、階段を上がれるときも左下肢で支えることができない。また左背部にむくみがあり、痛みを伴い、後頭部に頭痛があり、頭痛が始まると顔が紅潮し、吐気を催し、左眼の疲労が激しく、痛みを伴う等、日常の軽易な家事労働も困難な状態にある。右後遺障害による逸失利益を、原告の月額収入を一四万一九〇〇円(症状固定時における原告の年齢―満四六歳―と同年齢の女性の賃金センサスによる平均賃金)、後遺症の継続期間を一〇年(ホフマン係数は七・九四五)、労働能力喪失率五六%(後遺障害等級七級)として、算定すると、右の金額になる。

(四) 慰謝料 七七五万円

(1) 原告は、本件事故による傷害のため、入院治療を余儀なくされ、家事労働も不可能となり、連日肉体的、精神的苦痛に悩まされた。右苦痛に対する症状固定日までの慰謝料としては、一七五万円が相当である。

(2) 原告は、症状固定後も、前記後遺症に苦しみ、家事労働もできず、家族に大きな負担をかけ、しかも現在なおいつ治癒するとも判らない肉体的、精神的苦痛に悩まされている。原告の右精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては六〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 一五〇万円

原告は本件訴訟の提起と遂行を本件原告訴訟代理人に委任した。そこで本件弁護士費用のうち請求金額の一割以内である一五〇万円を被告らに負担させるのが相当である。

5  よつて、原告は被告らに対し、各自金一八九五万八二九二円及び弁護士費用を控除した内金一七四五万八二九二円に対する本件事故発生日である昭和五三年九月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は争う。

5  原告の本件における受傷は、その主張にかかるような長期の入院治療を必要とするようなものではない。昭和五三年一二月末日の府中病院以後において、原告には入院治療を必要とするような傷病状態は残存していなかつた。

仮に、右以後も何らかの傷病状態が残存していたとしても、それは本件事故と因果関係が存しないものである。即ち、本訴提起前より、原告の治療継続の要否をめぐつて原、被告ら間に意見の相違があり、双方代理人合意のうえ、昭和五四年八月、大阪厚生年金病院において原告の病状につき鑑定的な診察を受けたところ、原告主張の症状の原因となるような客観的な病的異常は認められなかつた。従つて昭和五四年に入つてよりの原告の入院治療等は、本件事故と因果関係がないものである。

原告の症状は、原告がもともと心因的要素によつて病気を悪化させやすい性格の持主であつたところへ、原告の治療に当たつた長束医師が、開院直後であり、患者を確保したいとの気持から、原告を精神的に安心させ、不安感を除去するよう原告を励ますどころか、逆に原告に対し、原告の脳に傷があり、それが現在の病的症状の原因であり、この症状は生涯治癒することはない旨説明して、原告の病状を却つて悪化させたことに基因するものである。

第三証拠〔略〕

理由

一  交通事故の発生と被告らの責任

請求原因1及び3の事実は当事者間に争いがない。よつて被告中谷敏行は自賠法三条により、被告中谷博美は民法七〇九条により、それぞれ本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。

二  原告の傷害

1  成立に争いのない甲第二ないし第七号証、第九、一〇号証、乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一、二、第四号証、第五、六号証の各一、二、第七号証の一ないし五、第一四、一五号証、第一六号証の一、二、第一七ないし第一九号証、証人李康彦、同尾藤昭二、同長束皓司、同水落進の各証言、及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件追突事故直後、原告の首の後部が腫れて痛みだし、約三〇分後には発熱、嘔吐するようになつた。

(二)  そのため原告は事故当日である昭和五三年九月七日正午前頃、自宅近くの野上外科病院で診察をうけたところ、頸部捻挫と診断された(なおX線上頸椎は生理的彎曲を欠き、直立位を呈していることが認められた)。

(三)  野上外科病院には同月九日まで三日間通院したが、同月一〇日朝、原告は眼まいがし、全身がしびれ、意識がなくなるなどしたため、担架で和泉市内の府中病院に運ばれ、診察をうけ、即日入院し、同年一二月二四日までに同病院に入院し、治療をうけた。原告は入院時、医師に対し、頭重、頭痛、手のしびれ、眼のかすみ、嘔吐感、全身の倦怠感等を訴え(なお受診時には意識は回復していた)、入院の翌日撮影した頸部レントゲン写真には、第五、第六頸椎間狭少が認められた。入院後は特に嘔吐感がひどく、度々嘔吐し、また後頭部の圧痛、左半身の知覚鈍麻、左手の握力低下が認められ、担当の李康彦医師は、脳及び背髄の障害を疑い、諸検査、身体検査を行つたが、確定的な所見は得られなかつた。また府中病院には検査設備が完備していないため、李康彦医師は和歌山労災病院に検査を依頼したところ、同年一〇月二八日和歌山労災病院から検査結果として、原告の傷病名を頸部捻挫、左大後頭三叉神経症候群としたうえ、「左眼窩上神経、左大後頭神経の刺激症状があり、これが眼痛、羞明となつて現われているものと思われる。眼の対外反射、眼球運動、眼底には異常所見は認められない。腱反射には異常なく、病的反射も認められない。頸椎レントゲン五、六頸椎に軽度の変性頸椎症の所見があるが、可動性も良好で外傷性変化はない。頭蓋X線正常。脳波は全般に速波傾向を示している。この所見はノイローゼ、ヒステリー等に認められるのと同様に精神的緊張を示すもので、脳の器質的変化はない。原告の症状は、追突により、頸筋の過伸屈がおこり、左頸筋の疼痛、左大後頭神経、三叉神経第一枝に疼痛が伝達されたことによるもので、それに心因性の外傷性神経症が加わり交感神経緊張状態を来たしていることによるものである。適当な時期に退院させ、自信を持たすことが必要かと考える」との趣旨の回答がなされ、和歌山労災病院での検査によつても原告の症状を説明し得る特別な所見を得ることはできなかつた。李康彦医師は、右和歌山労災病院の、「本人に自信を持たせることが必要である」との意見と同意見であつたので、原告を励まし元気づけようとしたが、原告はむち打ち症に対し強い恐怖感を持ち、自ら進んで積極的に体を動かそうとはしなかつた。原告の症状はその後もよくならず、同年一一月一四日には左手の握力低下が認められたが、李康彦医師としては、原告がそのまま入院を継続しても症状の好転は期待できず、寧ろ退院して気分転換をはかり、暫く様子をみた方がよいとの考えから、原告に対し退院を勧め、原告は退院には不服であつたが、同年一二月二四日、不眼、頭痛、吐気、眼痛、目まい、全身倦怠感など多様な自覚症状を残したまま府中病院を退院した。なお府中病院での原告の傷病名は外傷性頸椎症である。

(四)  原告は右府中病院を退院した翌二五日泉南市にある長束クリニックにおいて診察をうけ、長束医師に対し、頭痛、目まい、嘔吐感、左半身のしびれ等を訴え、同医師は外傷後頸症候群、背椎過敏症と診断し、原告に対し入院をすすめ、原告は同月二七日同病院に入院した。入院中、長束医師は原告の症状の原因を明らかにするため、各種の検査を行つたが、客観的確定的な結果は得られなかつた。ただ〈1〉脳波の検査三回のうち一回に徐派が認められ、〈2〉CTスキヤンの一部に高濃度の部分が認められ、医師として判断しかねる部分が存在し、〈3〉頸部レントゲンに生理的前彎消失が認められたほか、〈4〉原告の後部神経、上腕神経叢に圧痛がある、〈5〉手の動きが不十分であることが認められた。長束医師はこれらの検査結果、並びに客観的結果が出ないことをもつて直ちに原告に身体的異常が存在しないことにはならないとの考えから、原告及び夫に対し「原告の脳及び頸椎、頸髄のどこかに傷害があり、原告の症状は生涯治癒することはない」と告げた。そして症状の原因が確定しないため、治療方法は、原告が頭痛がするといえば痛みをとめ、吐気がすると訴えれば吐気をとめるといつた対症療法に終始していた。

この間、原告と被告ら双方は昭和五四年四月頃よりそれぞれ弁護士を通じ、本件交通事故による損害賠償につき種々交渉したが、結局本件交通事故と原告の症状との間の因果関係が争点となり、被告らは長束医師が開業直後のときで、患者を一人でも多く確保したいとの気持から、原告に対し殊更症状が重いように説明して原告にショックを与え、原告の症状を悪化させており、また原告の症状は本人の心因性のものにすぎないから、被告らには原告の現在の症状全部につき責任はないと主張し、これに対し原告は、原告の現在の症状はすべて本件事故に基因する旨主張し、その結果双方の納得のいく病院で診察をうけることとなり、原告は同年七月二八日から同年八月二二日までの間(実日数四日間)大阪市福島区にある大阪厚生年金病院に通院し、診察、検査をうけた。同病院での検査結果は、脳神経(但し見る神経、聞く神経)異常なし、左上下肢の運動障害については、病的反射の出現なく、腱反射は、原告が運動障害があるといつている方もそうでない方も左右対称で亢進、減弱なし。筋肉の緊張は左肘関節、膝関節のみで屈曲時に抵抗があるが、全体として硬直とはとれない。運動失調については、指を鼻に持つていくテストが確かに拙劣であるが、意思震顫(何かしようとしても手が震えてできない)を伴わず、矢張り異常所見とはとれない。頭部単純X線異常なし、頸椎X線第五、第六頸椎間に突起を認めるが、原告の訴える神経症状を説明するものではない。CTスキヤンは頭蓋内に明らかな病変を認めない。後頭蓋窩では内後頭隆起が出ているが、異常所見ではない。EEG脳波はややボルテージが低い傾向にあるが、左右差もなく、徐波等を認めない」であつた。

(五)  長束医師は同年一〇月一六日症状固定と判断し、原告は昭和五六年一月六日頃退院し、現在自宅療養中であるが、原告の症状は当初の頃と変らず、家事労働も十分に出来ない状態にある。なお原告には既往症として、心臓神経症(精神的なものに基因して、心臓の存在を意識する症状)がある。

以上の事実が認められる。

2  原告は、本件事故により頸髄または頸椎、脳に損傷が生じ、それが原告の現在の症状の原因をなしている旨主張するが、右主張に副う証人長束皓司の証言は、前記認定の和歌山労災病院、大阪厚生年金病院での各検査所見、並びに証人李康彦、同尾藤昭二の各証言に照らすと、脳、頸椎、頸髄の中の微妙な変化は現在の医学によつては把握し切れない面がある点を考慮に入れても、にわかに採用し難い。従つて、原告の前記主張はこれを認めるに足りる十分な証拠がないというほかない。

3  そこで原告の後遺障害と本件事故との因果関係及び被告らの責任の限度につき検討する。

前記認定の事実からすれば、原告は前記症状のため、現在家事労働にも満足に従事することができず、この点だけからすれば、原告はその労働能力の三五%程度を喪失したとも考えられる。

被告らは、原告の現在の症状は原告の心因的要素に基因する旨主張して、本件事故との因果関係を否認する。確かに前記認定の事実からすれば、原告の現在の症状に心因的要素が寄与していることは否定し得ないというべきであるが、しかしそうであるとしても、原告の右症状が本件交通事故によつて現出されたものであることは否定し得ず(証人水落進の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故以前膀胱炎、産婦人科系の病気を患つたことはあるにしても、健康な家庭の主婦であつたことが認められる)、従つて本件事故と原告の現在の症状との間に因果関係のあることは否定し得ないというべきであるが、他方原告は前記認定のとおり、心臓神経症の既往症があることからみて、心因的なものに支配されやすい性格の持主であると認められること、また府中病院での李康彦医師の励まし、元気づけにもかかわらず、原告はその症状克服のため、積極的に努力しようとはしなかつたこと、その他諸般の事情を考慮すると、被告らは原告の労働能力喪失率一四%の限度において責任を負うとするのが相当である。また原告の症状固定日は、成立に争いのない甲第九号証により、昭和五四年三月二九日と認めるのが相当である(右認定に反する甲第七号証は採用しない)。

三  原告の損害

1  入院雑費

入院期間(昭和五三年九月一〇日より前記症状固定日である昭和五四年三月二九日まで)二〇一日間、一日七〇〇円の割合により算定すると、一四万〇七〇〇円となる。

2  症状固定日までの逸失利益

証人水落進の証言、及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和八年六月二六日生れ(事故当時満四五歳)の女性であるところ、本件事故による受傷のため、事故当日である昭和五三年九月七日より前記症状固定日まで家事労働に従事することができなかつた。右休業期間二〇四日間の休業損害を、原告の月額収入一三万九〇〇〇円(本件事故当時における満四五歳の女性の賃金センサスによる平均賃金)として算定すると、九四万五一三二円となる。

3  後遺障害による逸失利益

月額収入を前記一三万九〇〇〇円、後遺症の継続期間を四年(ホフマン係数三・五六四)労働能力喪失率を一四%として算定すると、八三万二二六五円となる。

4  慰謝料

(一)  入、通院慰謝料(症状固定日までの慰謝料)

前記入、通院期間(症状固定日までの)に照らし、右慰謝料としては一二〇万円が相当である。

(二)  後遺障害に対する慰謝料

前記認定の原告の後遺障害の程度、及び前記二3において認定の被告らの責任の限度に照らし、右慰謝料としては一八〇万円が相当である。

5  弁護士費用

本件訴訟の経緯、認容額、その他諸般の事情に照らし、弁護士費用としては、五〇万円が相当である。

四  以上により原告の本訴請求は、被告らに対し各自、五四一万八〇九七円、及び弁護士費用を控除した四九一万八〇九七円に対する本件事故発生日である昭和五三年九月七日より完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋水枝)

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